3か月

 今日は9月8日。愛犬が亡くなってからちょうど3か月が経った。

 

 ペットロスのひとつの区切りは3か月だと、以前どこかで目にしたことがある。「ペットロスを乗り越えた」と実感した人がもっとも多くなるのが、この3か月という期間なのだという。

 それは私たち家族も例外ではないのかもしれない。犬のいない生活に慣れてしまった、というのが正直な感想だ。もう家の中で犬の気配を探すことはなくなった。

 淋しくなくなった、というのとは少し違う。犬のことを思えば涙が出そうになるし、よく食べたものや一緒に行ったところなどを見かけると、一気に懐かしさが込み上げてくる。もう二度と会えない、と思うとどうしようもなく悲しい。

 けれど、もう普通の生活を送れるし、趣味だって楽しんでいる。祭壇へ挨拶を忘れて出掛けてしまうことだってある。ペットロスを受け入れた、乗り越えた、と言えば聞こえはいいが、そんな私たちを見て、あの子は白状な奴だと怒るだろうか。

 

 私は新しい犬を飼いたい、と思っている。あの子がくれた日々は、かけがえのない幸せなものだった。それをもう一度感じてみたい。

 けれど、経済的にも、家庭の事情的にも、それは難しいようだ。人間と違い健康保険の使えない犬の出費は想像以上に家計の負担になる。病気などをすればなおさらだ。また両親ももう60代になる。これから、15年ほど生きる動物を最後まで責任を持って面倒を見ることができるだろうか。

 両親だけではない。私には人生設計がまったくない。今日までその日暮らしでただなんとなく生きてきた。そんな私がこれから新しい命を預かることには不安しかない。ひとりで支えていくことはできないだろう。

 新しい犬を迎えればきっとこの気持ちも晴れるだろうと無意識に思っていたが、それは甘い考えだったようだ。今後の生きる目的も見失いつつある。どうしたらいいのだろうか。

 

 あの子がいた頃に戻りたい。

2か月

 今日は8月8日だ。愛犬が虹の橋を渡ってからちょうど2か月、月命日にあたる日だ。

 

 先月の月命日に書いたブログを読み直してみた。たった2か月前のことなのに、すでに記録がおぼろげになっている出来事がいくつかあった。それが少し悲しい。

 

 犬がいなくなって2か月。あっという間だった、というのが正直な感想だ。大切な宝物を喪ってしまったという悲しみは少しも癒えることがない。今でも、ふとした時に犬のことを思い出したり、遺骨と写真のある祭壇を前にすると、すぐに目頭が熱くなってしまう。

 けれど、“犬のいない生活”に慣れてしまうのは、想像していたよりもずっと早かった。いなくなってすぐの頃は、気を抜くとすぐに目で部屋の中を探してしまったり、物音や気配で犬の存在を感じてハッとしてしまうこともあったが、そういうことはもうほとんどなくなった。犬はもういないのだ、ということを受け入れることができたのだろうか、それとも、受け入れて“しまった”のだろうか。

 こうやって少しずつ忘れてしまうのだろうか。それがいいことなのか、悪いことなのか、私にはまだ分からない。

 

 話は変わるが、先日、初めて家族以外の人に犬が死んでしまったことを話した。相手は職場の後輩だ。旅行の話に絡めて、あまり重くなりすぎないような雰囲気で言ってみようと思った。前々から、(誰かに言えるのか、言ってみたら私はどうなるのか)ということを試してみたかったからだ。

 私が以前LINEのアイコンを犬にしていたことを覚えていてくれた後輩は、「あの子ですよね」と言ってくれた。犬が家族以外の誰かにもしっかりと認識してもらっていたことが嬉しかった。そして、「とてもつらかったですよね」とも言ってくれた。いつも物腰が柔らかくて、心の優しい後輩だ。その言葉は私の心にじんわりと沁みた。

「干からびるほど泣いたよ。こんなにつらいことってあるんだな、と思った」

 そう言って明るく話題を終えた。気持ちがすっと軽くなったような気がした。

 

 私は死後の世界をあまり信じていないし、虹の橋の話も、家族を喪った悲しみを癒すことには大いに役立つとは思うけれど、その世界が本当にあるとは思っていない。人間も含め、死んだら無に還ると考えているからだ。そうでなければ、死後の世界で永遠に生き続けるなんて、不老不死と同じだ。考えただけでもぞっとしてしまう。

 でも、今は何をしているのかな、と思うことはある。苦しさやしんどさから解放されて、昔好きだったものをたくさん食べて、心地よくまどろんだりしていてくれたらいいな、と思う。そして、私たちのことは、たまに思い出して、懐かしいな、と思ってくれる程度で構わない。私たちはまだしばらくそちらには行けそうにないから。また会えるその日まで、のんびりと、まったりと、いつもマイペースで自由気ままな君らしく待っていてくれたら嬉しい。

ありがとう

 愛犬が虹の橋に旅立ってから、1か月がたった。

 

 思い出を綴ろうにも、14年間も一緒にいた家族のことだ。あまりにも多すぎて、またそのどれもがありふれすぎていて、とても文章にあらわせるものではない。

だから、最後の日のことをここに残しておこうと思う。

 

 その日も、私は犬のそばで目が覚めた。いつも添い寝をしてくれていた。今日も生きていてくれることに感謝をした。

 食欲をなくしていた犬に、数日前から点滴の治療をしてもらっていた。効果はまだ目に見えていなかったが、それでも何もしないよりは、と思い、選択したことだった。

 前の晩、というかもう夜中になっていたと思うが、犬はごはんをよく食べた。何度もお代わりをしてくれて、少し体力が戻ってきたかな、と私は嬉しくなった。

 朝の薬も、チーズに包ませたものを食べたと母が言っていた。朝ご飯は食べなかったけれど、あまり気にしなかった。今思えば、数日前からほとんどご飯は食べられていなかったように思う。それでも、点滴が少しでも効いてくれば、と思っていた。

 

 午前中はいつものようにジムに行き、ケーキを買って帰った。犬はいつもの場所ですやすやと眠っていた。この日は呼吸数も落ち着いていて、よく眠れているな、という印象だった。

 昼ごはんにラーメンを作って食べていると、犬が足元に来た。ここ最近は特に来ることが多かった。膝に乗せたところで何かを食べるわけでもないのだけれど、誰かと一緒にいるのが嬉しかったのだろうか。けれど、どんぶりが熱いし汁が飛ぶといけないので、と、気を遣ってなんとか食べきったのを覚えている。

 おやつにケーキを食べている時も犬はやってきた。また膝に乗せてやり、チーズケーキだったので少し分けてやったら喜んで食べた。これが最後に口にしたものになった。

けれど、床に降ろしてもこりずに何度もやってくるので、食べるのに気が散ってしまって、ケージの中に入れた。今思えばかわいそうなことをしてしまった。

 

 母が帰ってきて、病院に行った。点滴は毎日しなければならないので、ここ3,4日は毎日病院に行っていた。この日も前日と同じ40mlの点滴をしてもらい、何ごともなく家に帰るはずだった。

 会計を待っている間、犬がやけにそわそわしだした。病院嫌いな犬なので特に疑問に思わなかったが、家に帰ると苦しそうになり、それはいっそうひどくなった。パニックになったように家の中をバタバタと動き回り、私の足の間に顔を突っ込んだり、床に置きっ放しの服の上に伏せてみたり、隣の部屋に行ったりと落ち着かない様子だった。どうにも様子がおかしいので抱き上げると、「キューン」という、失神を起こすときに出すような声を上げるようになった。慌てて車に飛び乗り、先ほど後にしたばかりの病院へ戻った。

 病院までは車で5分もかからないのに、やけに長く感じた。夕方の帰宅ラッシュの渋滞をこの日ほどうっとうしいと思ったことはない。

 

 病院に戻ると、先生からは「肺水腫の一歩手前」だと言われた。心臓がかなり大きくなっているらしい。処置をしてくれて、酸素室のレンタルを勧められた。

 突然、声がした。淋しそうな声と、吠える声だった。治療室に行った犬の声だと分かった時には驚いた。今までそんなことはなかったからだ。看護師さんが連れてきてくれた犬はハアハアと荒い息をしていて、舌が青くなっていた。これがチアノーゼの色か、と私は血の気が引くのを感じた。別れが迫っている、と実感した。

 遅い時間だったので酸素室は早くて明日の搬入になるらしい。家に置いておくのは不安で、一晩病院で預かってくれることになった。

「何かあったら連絡します」 そう言って先生は犬を預かってくれた。

 連絡は私の携帯に来ることになっていたので、私は携帯を常に持ち歩いた。食事のときも机に置き、風呂に入るときは家族に預けた。いつ呼び出されてもいいように、寝巻きもTシャツのようなものにした。けれど、電話は鳴らないでほしい、と無意識に祈っていた。

 

 22時54分。ゲームアプリをしていた画面に突如、病院からの着信を知らせる画面が表示された。その瞬間、私は「かかってきた」 と言った。嘘だ、という気持ちと、ついにか、という気持ちが胸の中を去来した。

「○○ちゃん、もうほとんど呼吸が止まってしまっていて、血管を取ろうにも暴れてしまって……もうできることがない。今から迎えに来てあげてくれませんか」

 父も母も何の準備もできておらず、ひどく待たされたことに腹が立った。けれど頭はどこか冷静で、絶対に泣いてしまうだろうとタオルと携帯を掴んで家を出た。

 車の後部座席に乗り込んだ瞬間、涙があふれてきて止まらなかった。もう15歳だ。人間でいえば90歳近い高齢。長い間持病も患っていた。もう充分に生きてくれた。いつかはこんな日が来ると分かっていたし、覚悟もしていた、けれど、その瞬間はあっという間に来てしまった。

 

 病院に着くと、ほどなくして先生が犬を抱えて出てきてくれた。小窓からちらりと見えた犬の目は開いていて、私はまだ意識があるのかと思ったほどだ。けれど、診察室に横たえられた体が起き上がることも、私たちを見ることもなかった。

 どうしようもなく涙がこぼれた。私の体のどこにこんなにも水分があるのだろうと思ったほどだ。体を触るとまだあたたかくて、まだ生きているようだった。

「おしっこもちゃんと作れていたし、腎臓も頑張ってくれていた。ただ、心臓がもう限界だったようだ」 先生はそう言った。30分おきに様子を見てくれていたという。直前までは薬の作用でぐっすりと眠っていたようだが、突然苦しそうにしだしたのだという。

「病院にもちゃんときてくれて、薬もしっかり飲んでくれて……ちゃんとやってくれました。最後が病院になってしまったのが悔やまれる」 いつも淡々としている先生も、このときばかりは少し悲しそうだった。最後を看取ることができなかったのは残念で仕方ない。犬も、慣れた場所ではなく、病院でひとり、怖くて苦しくて淋しかったかもしれない、けれど、あのときああしていれば……なんて思うのは結果論でしかない。わたしたちはその時その時で最善だと思える決断を繰り返してきたのだから。後悔しないなんて無理な話だが、自分を責めてはいけない、と自分に言い聞かせた。

 

 先生が処置を施してくれて、棺の形をした段ボールに寝かされて、家に帰ることになった。居間に置かれたそれを代わる代わる眺めたり撫でたりしながら、遅くまで泣いた。

 泣き疲れて床に就いたが、夜中に目が覚めた。こんなに泣いたのは生まれて初めてで、頭は痛いわ目や鼻は痛いわでとてもじゃないが眠れたものではなかった。

 朝になり、遠方でひとり暮らしをしている兄弟が駆けつけてきた。皆で泣いた。食事もしばらく喉を通らないほど、私は泣いた。

 

 1か月がたって、犬のいない生活のほうが少しずつスタンダードになってきている。それでも思い出して悲しくなるし、もっと何かしてやれなかったのかと思うこともある。

傷が癒えるのはいつになるのだろうか、一生癒えることはないのだろうか。けれど、犬がいて楽しかった、幸せだった日々も確かに覚えている。今は心のままにこの感情に向き合って、少しずつ前を向けたらいいなと思っている。

今日起きたこと

 

 今日、いわゆる「露出狂」に遭遇した。電車の中のことだった。

 

 その電車は向かい合わせの座席で、男性は私の目の前に座っていた。どちらが先に座っていたのかははっきりと覚えていない。私の隣には友人が座っていたが、車内は人もまばらで、静かだった。

  どこにでもいそうな40代くらいの男性だった。最初は、何度か目が合うなという程度の認識だった。席も向かい合わせだし、しょうがないよなと特に深く考えていなかった。

 しばらくしてふと、男性のズボンのチャックが開いていることに気が付いた。

 

(チャック、閉め忘れちゃったのかな……)

 

 その時は軽くそう考え、なるべく見ないようにしてあげていた。

 

 違和感を覚えたのは、それから何駅か通り過ぎた頃だった。開いたチャックのすき間から、肌色の何かが見えている。直感的にアレだ、と気が付いた。そして故意に見えるようにしていることも即座に理解した。少し戸惑ったが、万が一見間違いだったら困るし、ことを荒立てるのも面倒だったので、視界に入らないようにして友人と喋ったり携帯を見たりしてやりすごしていた。

 そうしている間にも露出はどんどんエスカレートしていく。ついに亀頭と竿の部分がはっきりと見えるようになった。疑惑は確信に変わった。

 

  しかし、残念ながら私はゴリゴリの腐女子である。それも20年近いベテランだ。そんじょそこらの一般女性よりは男性器を見慣れているという自負がある。さしたる感慨もない。むしろ、恐怖や羞恥を感じるよりも、相手が女だからと舐めてかかっているその神経に無性に腹が立った。

 前述の通り車内はガラガラである。私と友人が席を移動すれば済む話だ。しかし、そうしてしまえばこの男に負けたことになる。相手の思うつぼになるのだけは絶対に嫌だ。そう思った。なぜ被害者である私が露出狂に配慮せねばならんのか。お前がちんちん見せつけとるのがあかんのやぞ。

 怒りが頂点に達した私は、車両の後方にいた車掌さん(なぜ車掌さんがいる車両で行為に及んだのか……)に声を掛けることにした。

 

 ドアの向こうにいる年配の車掌さんに、ジェスチャーで話があることを伝える。車掌さんはすぐに出てきてくれた。こっそりと、向かいに座っている男性が股間を露出していることを伝える。車掌さんも驚いたようだが、すぐに男性の元に向かってくれた。おそらく車掌さんが近付いてきた時点でイチモツは即座にしまっていただろうから、犯行の現場を見てはいないだろうけど、車掌さんは私を疑うこともせず毅然と注意してくれた。

 お礼を言って元の席に戻る。男性はすっかりしょぼくれており、チャックも綺麗に閉まっていた。そしてこちらを見ると申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 

 そんな生半可な覚悟なら最初からやるんじゃない。

 

 次の駅で男性は降りていった。その際も私に頭を下げていった。だからそんな(略

ちなみに隣にいた友人はまったく気が付いていなかったようで、私の一連の行動に驚いていた。さすがに見て楽しいものではないので、気付いてなくてよかったと安堵した。

 

 今回は自分に直接の被害が及ぶことではなかったからよかったものの、これが痴漢だったら同じように対応できたかは分からない。でも性犯罪を許すことはできない。気の弱い性犯罪者はこういう戦闘民族みたいな腐女子がいることも頭に入れておいた方がいいと思う。

 次はスマホで証拠を押さえてから通報しようかな。