2か月

 今日は8月8日だ。愛犬が虹の橋を渡ってからちょうど2か月、月命日にあたる日だ。

 

 先月の月命日に書いたブログを読み直してみた。たった2か月前のことなのに、すでに記録がおぼろげになっている出来事がいくつかあった。それが少し悲しい。

 

 犬がいなくなって2か月。あっという間だった、というのが正直な感想だ。大切な宝物を喪ってしまったという悲しみは少しも癒えることがない。今でも、ふとした時に犬のことを思い出したり、遺骨と写真のある祭壇を前にすると、すぐに目頭が熱くなってしまう。

 けれど、“犬のいない生活”に慣れてしまうのは、想像していたよりもずっと早かった。いなくなってすぐの頃は、気を抜くとすぐに目で部屋の中を探してしまったり、物音や気配で犬の存在を感じてハッとしてしまうこともあったが、そういうことはもうほとんどなくなった。犬はもういないのだ、ということを受け入れることができたのだろうか、それとも、受け入れて“しまった”のだろうか。

 こうやって少しずつ忘れてしまうのだろうか。それがいいことなのか、悪いことなのか、私にはまだ分からない。

 

 話は変わるが、先日、初めて家族以外の人に犬が死んでしまったことを話した。相手は職場の後輩だ。旅行の話に絡めて、あまり重くなりすぎないような雰囲気で言ってみようと思った。前々から、(誰かに言えるのか、言ってみたら私はどうなるのか)ということを試してみたかったからだ。

 私が以前LINEのアイコンを犬にしていたことを覚えていてくれた後輩は、「あの子ですよね」と言ってくれた。犬が家族以外の誰かにもしっかりと認識してもらっていたことが嬉しかった。そして、「とてもつらかったですよね」とも言ってくれた。いつも物腰が柔らかくて、心の優しい後輩だ。その言葉は私の心にじんわりと沁みた。

「干からびるほど泣いたよ。こんなにつらいことってあるんだな、と思った」

 そう言って明るく話題を終えた。気持ちがすっと軽くなったような気がした。

 

 私は死後の世界をあまり信じていないし、虹の橋の話も、家族を喪った悲しみを癒すことには大いに役立つとは思うけれど、その世界が本当にあるとは思っていない。人間も含め、死んだら無に還ると考えているからだ。そうでなければ、死後の世界で永遠に生き続けるなんて、不老不死と同じだ。考えただけでもぞっとしてしまう。

 でも、今は何をしているのかな、と思うことはある。苦しさやしんどさから解放されて、昔好きだったものをたくさん食べて、心地よくまどろんだりしていてくれたらいいな、と思う。そして、私たちのことは、たまに思い出して、懐かしいな、と思ってくれる程度で構わない。私たちはまだしばらくそちらには行けそうにないから。また会えるその日まで、のんびりと、まったりと、いつもマイペースで自由気ままな君らしく待っていてくれたら嬉しい。