ありがとう

 愛犬が虹の橋に旅立ってから、1か月がたった。

 

 思い出を綴ろうにも、14年間も一緒にいた家族のことだ。あまりにも多すぎて、またそのどれもがありふれすぎていて、とても文章にあらわせるものではない。

だから、最後の日のことをここに残しておこうと思う。

 

 その日も、私は犬のそばで目が覚めた。いつも添い寝をしてくれていた。今日も生きていてくれることに感謝をした。

 食欲をなくしていた犬に、数日前から点滴の治療をしてもらっていた。効果はまだ目に見えていなかったが、それでも何もしないよりは、と思い、選択したことだった。

 前の晩、というかもう夜中になっていたと思うが、犬はごはんをよく食べた。何度もお代わりをしてくれて、少し体力が戻ってきたかな、と私は嬉しくなった。

 朝の薬も、チーズに包ませたものを食べたと母が言っていた。朝ご飯は食べなかったけれど、あまり気にしなかった。今思えば、数日前からほとんどご飯は食べられていなかったように思う。それでも、点滴が少しでも効いてくれば、と思っていた。

 

 午前中はいつものようにジムに行き、ケーキを買って帰った。犬はいつもの場所ですやすやと眠っていた。この日は呼吸数も落ち着いていて、よく眠れているな、という印象だった。

 昼ごはんにラーメンを作って食べていると、犬が足元に来た。ここ最近は特に来ることが多かった。膝に乗せたところで何かを食べるわけでもないのだけれど、誰かと一緒にいるのが嬉しかったのだろうか。けれど、どんぶりが熱いし汁が飛ぶといけないので、と、気を遣ってなんとか食べきったのを覚えている。

 おやつにケーキを食べている時も犬はやってきた。また膝に乗せてやり、チーズケーキだったので少し分けてやったら喜んで食べた。これが最後に口にしたものになった。

けれど、床に降ろしてもこりずに何度もやってくるので、食べるのに気が散ってしまって、ケージの中に入れた。今思えばかわいそうなことをしてしまった。

 

 母が帰ってきて、病院に行った。点滴は毎日しなければならないので、ここ3,4日は毎日病院に行っていた。この日も前日と同じ40mlの点滴をしてもらい、何ごともなく家に帰るはずだった。

 会計を待っている間、犬がやけにそわそわしだした。病院嫌いな犬なので特に疑問に思わなかったが、家に帰ると苦しそうになり、それはいっそうひどくなった。パニックになったように家の中をバタバタと動き回り、私の足の間に顔を突っ込んだり、床に置きっ放しの服の上に伏せてみたり、隣の部屋に行ったりと落ち着かない様子だった。どうにも様子がおかしいので抱き上げると、「キューン」という、失神を起こすときに出すような声を上げるようになった。慌てて車に飛び乗り、先ほど後にしたばかりの病院へ戻った。

 病院までは車で5分もかからないのに、やけに長く感じた。夕方の帰宅ラッシュの渋滞をこの日ほどうっとうしいと思ったことはない。

 

 病院に戻ると、先生からは「肺水腫の一歩手前」だと言われた。心臓がかなり大きくなっているらしい。処置をしてくれて、酸素室のレンタルを勧められた。

 突然、声がした。淋しそうな声と、吠える声だった。治療室に行った犬の声だと分かった時には驚いた。今までそんなことはなかったからだ。看護師さんが連れてきてくれた犬はハアハアと荒い息をしていて、舌が青くなっていた。これがチアノーゼの色か、と私は血の気が引くのを感じた。別れが迫っている、と実感した。

 遅い時間だったので酸素室は早くて明日の搬入になるらしい。家に置いておくのは不安で、一晩病院で預かってくれることになった。

「何かあったら連絡します」 そう言って先生は犬を預かってくれた。

 連絡は私の携帯に来ることになっていたので、私は携帯を常に持ち歩いた。食事のときも机に置き、風呂に入るときは家族に預けた。いつ呼び出されてもいいように、寝巻きもTシャツのようなものにした。けれど、電話は鳴らないでほしい、と無意識に祈っていた。

 

 22時54分。ゲームアプリをしていた画面に突如、病院からの着信を知らせる画面が表示された。その瞬間、私は「かかってきた」 と言った。嘘だ、という気持ちと、ついにか、という気持ちが胸の中を去来した。

「○○ちゃん、もうほとんど呼吸が止まってしまっていて、血管を取ろうにも暴れてしまって……もうできることがない。今から迎えに来てあげてくれませんか」

 父も母も何の準備もできておらず、ひどく待たされたことに腹が立った。けれど頭はどこか冷静で、絶対に泣いてしまうだろうとタオルと携帯を掴んで家を出た。

 車の後部座席に乗り込んだ瞬間、涙があふれてきて止まらなかった。もう15歳だ。人間でいえば90歳近い高齢。長い間持病も患っていた。もう充分に生きてくれた。いつかはこんな日が来ると分かっていたし、覚悟もしていた、けれど、その瞬間はあっという間に来てしまった。

 

 病院に着くと、ほどなくして先生が犬を抱えて出てきてくれた。小窓からちらりと見えた犬の目は開いていて、私はまだ意識があるのかと思ったほどだ。けれど、診察室に横たえられた体が起き上がることも、私たちを見ることもなかった。

 どうしようもなく涙がこぼれた。私の体のどこにこんなにも水分があるのだろうと思ったほどだ。体を触るとまだあたたかくて、まだ生きているようだった。

「おしっこもちゃんと作れていたし、腎臓も頑張ってくれていた。ただ、心臓がもう限界だったようだ」 先生はそう言った。30分おきに様子を見てくれていたという。直前までは薬の作用でぐっすりと眠っていたようだが、突然苦しそうにしだしたのだという。

「病院にもちゃんときてくれて、薬もしっかり飲んでくれて……ちゃんとやってくれました。最後が病院になってしまったのが悔やまれる」 いつも淡々としている先生も、このときばかりは少し悲しそうだった。最後を看取ることができなかったのは残念で仕方ない。犬も、慣れた場所ではなく、病院でひとり、怖くて苦しくて淋しかったかもしれない、けれど、あのときああしていれば……なんて思うのは結果論でしかない。わたしたちはその時その時で最善だと思える決断を繰り返してきたのだから。後悔しないなんて無理な話だが、自分を責めてはいけない、と自分に言い聞かせた。

 

 先生が処置を施してくれて、棺の形をした段ボールに寝かされて、家に帰ることになった。居間に置かれたそれを代わる代わる眺めたり撫でたりしながら、遅くまで泣いた。

 泣き疲れて床に就いたが、夜中に目が覚めた。こんなに泣いたのは生まれて初めてで、頭は痛いわ目や鼻は痛いわでとてもじゃないが眠れたものではなかった。

 朝になり、遠方でひとり暮らしをしている兄弟が駆けつけてきた。皆で泣いた。食事もしばらく喉を通らないほど、私は泣いた。

 

 1か月がたって、犬のいない生活のほうが少しずつスタンダードになってきている。それでも思い出して悲しくなるし、もっと何かしてやれなかったのかと思うこともある。

傷が癒えるのはいつになるのだろうか、一生癒えることはないのだろうか。けれど、犬がいて楽しかった、幸せだった日々も確かに覚えている。今は心のままにこの感情に向き合って、少しずつ前を向けたらいいなと思っている。